2009年08月09日

お~い竜馬を訪ねて(5)・土佐勤王党弾圧の牢屋

















土佐勤王党らの弾圧により武市半平太・岡田以蔵らが投獄された当時の牢屋が今も現存すると聞き立ち寄りました。

高知城の近く徒歩10分位でしょうか…
薫的(くんてき)神社という神社の境内にその牢屋は移転保存されていました。

時代に翻弄された彼等は、この牢屋の中で耐え難い拷問を日夜受けて、死の恐怖に怯え、戦い、苦しんで逝ってしまったんですね…惨すぎますね…

観光客がほとんど誰も訪れる場所ではありませんが、この静けさの中のセミしぐれが彼等の無念さの様に染み入ります。

彼等の最期の時もこんなに蒸し暑い日だったんでしょうか…

夫婦で合掌。


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Posted by 醜猫 at 04:12Comments(2)お~い竜馬

2009年07月30日

お~い竜馬を訪ねて(4)・岡田以蔵・最期の地

岡田以蔵の3回目の墓参りです。6年前に最初に行った時よりも、今はお墓はかなり綺麗に整備されております。最初は無縁仏のようにほったらかしで涙が出た程でした。

地元の有志の方々が路案内の看板設置や墓の清掃等を定期的にやって頂いてる形跡があります。
本当に感謝します。

ホテルから直接出て午前中に着いたのですが、既に花が供えられてました。
本当にありがとうございます。



今回の高知の旅は岡田以蔵の最期の地の探索が大きな目的の一つです。

3日間も見せしめの為、首を晒された雁切橋の探索です。
確か吉田東洋もここに首を晒された所です。

ネットで調べて現在は紅葉橋と名前が変わってるらしいと知り、その付近の住人の方々に聞き込み、処刑場所と橋の特定が出来ました。

処刑場所は今は広い駐車場になっており、その隅にひっそりと祠が祀ってあります。

聞き込みによると昔処刑場所だった為に鎮魂の為に建てられた祠らと子供の頃に聞いた事でした。

付近は住宅が密集してますが、ここだけは広い駐車場のままになってる事は、わずか150年前まで忌まわしい地をなかなか住宅地にするには…と抵抗が残ってるんでしょう。

雁切橋は今は紅葉橋と名前を変えてます。のどかな鏡川にかかる橋です。周りの木々や山々は以蔵さんの最期を見てたと思うと何とも言えない気持ちになりました。
橋と処刑場の祠をお参りし夫婦で涙し叫びました。
[以蔵さ~ん!]

過去に処刑場所だった等の忌まわしいと思われる地域には必ずと言っていいほど部落差別が生まれます。それは同和地域や同和問題という言葉で現在にも残ってます。

なぜなら処刑等の後処理を担当させられていた人達は江戸時代はエタ非人と言われた最下級の人間と差別されていたからです。同じ人間なのに勝手に差別されひどい話です。
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Posted by 醜猫 at 15:52Comments(3)お~い竜馬

2009年03月20日

お~い竜馬を訪ねて・・・(3)



土佐勤王党党首 武市半平太(瑞山)の生家です。なんと現在も民間の借家に使用されています。
まるで江戸時代にタイムスリップしたようなのどかな風景の田園地域に感動しました。

私達夫婦が行った時には普通に借家人が生活していました。

てっきり重要文化財的な史跡で見学できるものと期待して行ったのですが、それも叶わず、借家人の好意で家の周りを見学させて貰いました。

文化的、歴史的にも貴重な築200年以上も経過する建物が、きちっと保存管理されず、現在も民間の借家になっている事に私達夫婦は驚き、怒り、泣き、この土佐藩の江戸幕府初期から続く郷士と上士との厳しい身分差別が倒幕後の明治になっても色濃く影響していると感じました。
(有料にして生家と瑞山神社の保存管理を是非、徹底して貰いたいと強く感じました)

どうも高知市内の竜馬ゆかりの地を訪ねて感じましたが、郷士集団の土佐勤王党らの史跡と上士である土佐藩主 山内容堂他、後藤象二郎、板垣退助らの史跡の保存管理状態に差がある事に気づいたのはひねくれ者の私だけでしょうか?

観光収入という概念の無かった明治・大正・昭和初期から、今を以って作家司馬遼太郎のおかげで坂本竜馬は余りにも有名になり、重要な観光収入と世論の影響で行政も竜馬史跡には保存に力を入れざるを負えなかったと思うが、竜馬以外のメンバーの史跡の保存管理状態には寂しいものを感じます。

【酔えば勤皇覚めれば佐幕】と歌われ風見鶏と他藩から皮肉られた土佐藩の山内容堂は徹底した身分差別主義者であり、郷士集団の土佐勤皇党等は彼にとっては虫けら程度しか感じて無かったんでしょう。

静岡掛川藩主の山内一豊が土佐藩に入城して約250年間、徹底した身分差別を強いられ長年の鬱積が爆発して立ち上がった郷士集団土佐勤王党等は、結果、日本の夜明けの先駆けとなり虫けらのように散っていった有志らの史跡をもっと手厚く行政は保存管理すべきと感じました。

生家の隣には瑞山神社があります。この神社も保存管理状態が悪く寂れています!(怒)

神社内には色々なパネルが展示されています。

その神社の隣の小山に武市半平太と妻・富の墓があります。

私達夫婦は線香を焚き墓前で涙しました。数々の「お~い竜馬」のシーンが蘇ります。

墓前で竜馬が武市に言った言葉を思い出します・・・・「武市さんは容堂を妄信しすぎちょる!容堂は我々を人間とは思うとらん!虫けらとしか思うちょらん!藩だ何だと考えずに我らと一緒に脱藩しよう!」

あくまで藩全体での勤王を推し進めると主張し幕藩体制の概念の殻を打ち破る事が出来ない武市と自由奔放な合理的に考える竜馬との性格の違いを表したエピソードである。

武市半平太の処刑は凄惨を極め、過去に誰も成しえなかった意地の三文字切りの切腹を後藤象二郎と板垣退助の面前で、見事、見せ付けてやったのである。(涙涙涙・・・・)

それからの妻・富さんは藩から家禄・屋敷を没収され生活に困窮し、十数年間の間、絶望のなか裏長屋を転々としたという。
墓前で私達夫婦は「富さ~ん!富さ~ん」と叫びました。

明治10年になって朝廷の誰かが半平太の事を思い出して、やっと家禄が復旧され、明治24年に朝廷より勲位を与えられ、その席で後藤象二郎と板垣退助が武市半平太を死に至らした事は我々の誤りだったと詫びたという。
(遅いわ!今迄何していたんだ!容堂も謝れ!ばかやろう!) 

その後、富さんは養子を迎え、名を半太と改名させ、その半太は医者となり、晩年は半太夫婦が老いた富さんの面倒をよく見てくれて、やっと、穏やかな幸せを得たという事が唯一の救いである。大正6年まで生き87歳の生涯を閉じる。


参考サイト 武市半平太ー武市家の歴史































  


Posted by 醜猫 at 22:11Comments(0)お~い竜馬

2008年11月17日

お~い竜馬を訪ねて(2)

岡田以蔵の墓参りに行った時の写真です。写真では判りづらいですが、墓名には「岡田 宣振」と刻名されています。(写真は6年前の墓参り時)
(間違って他写真を消去してしまったらしい・・・・トホホ) 

墓の第一印象は、「こんな!なんて寂しい場所に・・・・・・悲しい!無縁仏の様にほったらかし!」という印象でした。

墓はうっそうと茂る竹林の山中のなかにあり、まるで以蔵さんを守るかの様な勢いで藪蚊が攻撃してきました。


線香を焚いたら何故か蚊の攻撃は収まりました。「以蔵さん!喜んでくれているのか?」と夫婦で涙しました。

妻は50ヶ所、私は30ヶ所以上、蚊にさされてしまった中での墓参りでした。

墓も非常にわかりづらい場所にあり、山の入り口付近の材木屋さんに聞いた所、その社長さんがわざわざ墓まで案内してくれました。その社長さんは以蔵さんに同情的で、以蔵がかわいそうだと墓守りをしているらしく、墓までの通路の整備や道しるべ等を今、暇を見つけては作っていると事で感謝しております。

この社長さんのお陰で2回目の墓参り時には、道しるべや通路も整備され、以蔵さんの墓周辺もきれいになってました。
社長さんありがとうございました。お疲れ様でした。
(写真は消去されたか?SDカードを現在探索中・・・)

以蔵さんが処刑され、首を晒された後、近くの寺の住職が不憫に思い、以蔵さんの身内が眠るこの墓に埋葬したと、その社長さんが教えてくれました。



「お~い竜馬」の中では、以蔵さんは(漫画で竜馬が以蔵さん!以蔵さんと!とよく呼んでいる為、私達も以蔵さんと呼んでます)竜馬や武市半平太とも幼なじみの仲とし設定されております。

他資料では竜馬との出会いは江戸の武芸の修行中に出合った等・・・・色々ありますが、私は、「お~い竜馬」での話を全て信用したいと思っております。

以蔵さんは、一般には「人斬り以蔵」として悪名が高いですが、「お~い竜馬」のなかでは、病弱な竜馬の母をかばうシーン等で竜馬から義侠心が厚く、やさしい人として描かれています。私達夫婦も強くそう思っております。

ただ不幸にも貧困と身分制度の為からの無学ゆえ、武市らに利用されてしまっただけと考えております。
ただ、剣のみでしか自分の生きている存在感を見出せなかっただけであると強く感じます。

事実、歴史上でも武市率いる土佐勤王党の天敵であった勝海舟の警護を竜馬から頼まれ警護し、勝海舟の命を狙う暴漢を蹴散らしてる事実を考えれば、竜馬の言った以蔵さんの人柄もうなづけると思います。

私達夫婦は、竜馬の言う「義侠心が厚く、やさしい」そんな以蔵さんが大好きです。 世間の言うそんな悪い人間では無かった筈と信じています。

墓を目の前にして、「お~い竜馬」の数々の以蔵さんのシーンが蘇ります。
特に以蔵さんの後藤象二郎らに処刑されるシーンが印象的です。


私が以蔵さんの人柄をよく描いていると感じるお勧め映画 司馬遼太郎原作 五社英雄監督 「人斬り」
余談ですが、盾の会の会長でs45年自衛隊官舎で部下に自らの首を跳ねさせて割腹自殺した文学者 三島由紀夫が薩摩の人斬り新兵衛を熱演しているシーンは見応えがあります。彼らの生き様が自分の美学と合致していたんでしょうか・・・・・

岡田 以蔵

私は歴史上、土佐勤王党の武市半平太の指示にて、土佐藩家老の吉田東洋暗殺の実行犯は、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助とされておりますが、武市半平太の立場からして、絶対に失敗の許されない状況で、剣の腕では半平太も一目置く岡田以蔵の存在は大きく、やはり、漫画のなかで描かれている様に、岡田以蔵が4人目に参加していたと確信してます。

又、現場に見張り役として居た那須信吾の甥っ子である田中顕助氏は昭和14年迄存命しておりましたが、東洋暗殺と岡田以蔵の関連を何一つ語って居ない事は叔父の那須信吾らの名誉を尊重していると私は勝手に推測しております。

  


Posted by 醜猫 at 12:34Comments(0)お~い竜馬

2008年10月31日

お~い竜馬を訪ねて(1)

3年程前と6年程前に夫婦で高知に行った時の写真を、今後、少しづつご紹介していきたいと思います。

私達夫婦は若い頃より漫画が大好きで、なかでも俳優(歌手)の武田鉄矢原作・小山ゆう画(代表作・がんばれ元気)の「お~い竜馬」が大好きな漫画のひとつです。

この漫画のおかげで幕末の時代に興味を持つようになり、いろいろな歴史書を読み、近代日本の幕開けには、さまざまな人間模様と多くの血が虫けらの様に流されていった悲しく暗い過去の事実知り感動しました。

テストの為の年表覚えしか教えない学校の歴史とは面白さが違います。

若い時より、いつかは純粋に日本の将来の為に立ち上がり、走り抜けて行った偉大な先人達の墓参りに行きたいと思っていました。そんな思いをやっと、初めて実現できた時の写真です。今後も、こつこつと小金が貯まったら、夫婦で全国の幕末・竜馬ゆかりの地を訪ねたいと思います。




坂本家墓参りの時写真。             
父(八平)母(幸)兄(権平)姉(栄・乙女)らが眠っている。
実際の墓を目の前にして「お~い竜馬」の数々のシーンが蘇ります。

特に竜馬脱藩の罪を背負い自らの命を犠牲にして果てた長姉の栄の墓には夫婦で涙しました。 











自害した姉栄の墓↓ (s43年100年ぶりに掘り起こされ建立)

自害した姉栄の墓は当時、坂本家としては極秘とされ、墓も建てられなかったそうである。 まさに、この場所に100年近くも墓石も無くひっそりと一人で眠っていたのです。 

坂本家の墓の後方に姉栄が埋められていた。


 



坂本栄の墓







                         


Posted by 醜猫 at 15:17Comments(0)お~い竜馬