2009年03月20日

お~い竜馬を訪ねて・・・(3)



土佐勤王党党首 武市半平太(瑞山)の生家です。なんと現在も民間の借家に使用されています。
まるで江戸時代にタイムスリップしたようなのどかな風景の田園地域に感動しました。

私達夫婦が行った時には普通に借家人が生活していました。

てっきり重要文化財的な史跡で見学できるものと期待して行ったのですが、それも叶わず、借家人の好意で家の周りを見学させて貰いました。

文化的、歴史的にも貴重な築200年以上も経過する建物が、きちっと保存管理されず、現在も民間の借家になっている事に私達夫婦は驚き、怒り、泣き、この土佐藩の江戸幕府初期から続く郷士と上士との厳しい身分差別が倒幕後の明治になっても色濃く影響していると感じました。
(有料にして生家と瑞山神社の保存管理を是非、徹底して貰いたいと強く感じました)

どうも高知市内の竜馬ゆかりの地を訪ねて感じましたが、郷士集団の土佐勤王党らの史跡と上士である土佐藩主 山内容堂他、後藤象二郎、板垣退助らの史跡の保存管理状態に差がある事に気づいたのはひねくれ者の私だけでしょうか?

観光収入という概念の無かった明治・大正・昭和初期から、今を以って作家司馬遼太郎のおかげで坂本竜馬は余りにも有名になり、重要な観光収入と世論の影響で行政も竜馬史跡には保存に力を入れざるを負えなかったと思うが、竜馬以外のメンバーの史跡の保存管理状態には寂しいものを感じます。

【酔えば勤皇覚めれば佐幕】と歌われ風見鶏と他藩から皮肉られた土佐藩の山内容堂は徹底した身分差別主義者であり、郷士集団の土佐勤皇党等は彼にとっては虫けら程度しか感じて無かったんでしょう。

静岡掛川藩主の山内一豊が土佐藩に入城して約250年間、徹底した身分差別を強いられ長年の鬱積が爆発して立ち上がった郷士集団土佐勤王党等は、結果、日本の夜明けの先駆けとなり虫けらのように散っていった有志らの史跡をもっと手厚く行政は保存管理すべきと感じました。

生家の隣には瑞山神社があります。この神社も保存管理状態が悪く寂れています!(怒)

神社内には色々なパネルが展示されています。

その神社の隣の小山に武市半平太と妻・富の墓があります。

私達夫婦は線香を焚き墓前で涙しました。数々の「お~い竜馬」のシーンが蘇ります。

墓前で竜馬が武市に言った言葉を思い出します・・・・「武市さんは容堂を妄信しすぎちょる!容堂は我々を人間とは思うとらん!虫けらとしか思うちょらん!藩だ何だと考えずに我らと一緒に脱藩しよう!」

あくまで藩全体での勤王を推し進めると主張し幕藩体制の概念の殻を打ち破る事が出来ない武市と自由奔放な合理的に考える竜馬との性格の違いを表したエピソードである。

武市半平太の処刑は凄惨を極め、過去に誰も成しえなかった意地の三文字切りの切腹を後藤象二郎と板垣退助の面前で、見事、見せ付けてやったのである。(涙涙涙・・・・)

それからの妻・富さんは藩から家禄・屋敷を没収され生活に困窮し、十数年間の間、絶望のなか裏長屋を転々としたという。
墓前で私達夫婦は「富さ~ん!富さ~ん」と叫びました。

明治10年になって朝廷の誰かが半平太の事を思い出して、やっと家禄が復旧され、明治24年に朝廷より勲位を与えられ、その席で後藤象二郎と板垣退助が武市半平太を死に至らした事は我々の誤りだったと詫びたという。
(遅いわ!今迄何していたんだ!容堂も謝れ!ばかやろう!) 

その後、富さんは養子を迎え、名を半太と改名させ、その半太は医者となり、晩年は半太夫婦が老いた富さんの面倒をよく見てくれて、やっと、穏やかな幸せを得たという事が唯一の救いである。大正6年まで生き87歳の生涯を閉じる。


参考サイト 武市半平太ー武市家の歴史































  


Posted by 醜猫 at 22:11Comments(0)お~い竜馬

2009年03月09日

初心者の大型二種試験合格!!

大型二種免許と言えば路線・観光バス運転が可能な免許である。運転免許の最高峰と言われる免許である。

そんな免許に無謀にも大型初心者の私がチャレンジしたのが昨年の10月からである。大型自動車免許は30年位前に取得はしていたのだが、運転する機会が無く、せいぜい数回マイクロバス位を運転した事がある程度であった。

まぁ、失業中の身で時間を持て余していたから、将来何かの役にでもと思って受験してみた訳である。

当然、自動車学校なんかには行かず、試験場に直接のチャレンジである。今回何とか12回目でやっと合格を勝ち取る事が出来た。 正直ここまで苦しめられる免許だとは思わなかった。本当に苦しかった!
特に私の場合は失業の身で、いつまで続くか判らない毎回の7700円の現金出費が痛い!

大型2種免許は11mロングバスを使用し、半年間有効な学科試験合格後に場内試験(方向転換・鋭角)をパスして初めて場外路上試験にチャレンジ出来るシステムである 試験終了後に合計80点以上の持ち点が残っていて初めて合格となる。

直接試験場チャレンジの費用 1回7700円×12回=92400円 (合格後に免許取得者講習26100円別途必要)

自動車学校の費用は大型1種免許を持っていても30万~40万はかかる事を考えれば合格すれば安いものである。

ただ、合格すればの話であるが、実際、15回来ている人でも不合格を繰り返していた人も居ると聞いていた。だいたいは途中であきらめてしまう人も少なくは無いと聞く。(費用の問題もあるが、そうそうは仕事を休んで来れなくなる人が多いと聞く)
特に仕事を持たれている方は会社が余程理解してくれている会社で無ければ続かないと思う。

しかし、8回~12回位が平均合格回数との感触ですから、根気よく諦めずにスケジュール調整をすれば合格は近づくと思います。

そこで、初心者の私が感じた、これを直さなければ絶対100%合格しない大きなポイントを挙げたいと思います。
(試験の詳細は他サイトで参照して下さい。)

*場内は減点無しでクリアしないとまず合格は遠のくと自覚すべし。
  私は初回から連続4回場内のみで落ちました。恐るべし鋭角!
*ならし走行時に11m.ロングの内輪差の間隔をつかむべし。
*前輪が運転席より後ろにあるという初めての感覚は普段大型トラックを運転している人でも面食らっていました。

「場内」
1、前進・後退・発進時には必ず6点確認をすべし。特にその都度の切り替えし時に忘れている人は絶対合格しない。

「場外」
2、場外でも6点確認を忘れてはならない。
3、普段の普通の安全運転意識レベルのままでは絶対合格しない。
4、交差点の右左折は、これでもか!という意識で徐行すべし。(10キロ以下 殆ど自転車の速度のレベル)
5、交差点内で信号が変わっても速度を上げてはならない。
6、徐行を意識的に実行するパターンは 交差点の右左折・自転車・歩行者・停止車両の横を通過時である。
  不合格者の皆が100%忘れている事は右折レーンに入る時も徐行である。
7、進路変更は早め早めに実施する。


普段我々は交通の流れに沿って安全運転を心がけているが、試験ではそれは通用しないのである。
何故なら、道交法上では徐行は10キロ以下が目安であり、普段の生活運転で、いくら交差点内でも10キロ以下で走るという事は、停止以外にはまず無い状況だからである。
裏を返せば、普段の我々の運転は皆が道交法に違反している運転という事なんです。

私は7回目位の不合格からマズイとあせりだして、自分の車を運転している時にシュミレーション運転をしてました。
よく遅すぎて、パッシングやクラクションを鳴らされました。合格までガマンガマンです。

不思議とこのシュミレーションを繰り返す度に安全運転の意識が不思議と高まって行くものです。


極端に言えば交通の流れの邪魔になってもいいから、必要時の徐行を徹底しなければまず合格は近づいて来てくれないと感じた。




私が参考にした大型二種免許サイト


  


Posted by 醜猫 at 14:54Comments(0)資格試験